金沢百枝『ロマネスク美術革命』

久々の更新。尊敬する先輩であり友人である美術史家金沢百枝さんの『ロマネスク美術革命』。昨年のサントリー学芸賞を受賞し、その素敵なお祝いの会にも呼んで頂きました。あんな、草の露を飲んで美しいことばかり考えているような人たちが集まるときには集まるのだから、現代の東京も捨てたもんじゃないんだなと思います。

ずいぶん前にご本を頂いてからずっと書評を書こうと思っている間にいろいろなところで書かれ、建築史界隈でも五十嵐太郎さんや倉方俊輔さんが書かれ、なんだか機を逸したという感じで愚図な自分が嫌になります。が、良い本はいつ評しても良いものだと思うので、また書きます(っていま書かないのか、という感じですが、手元にメモがない…)。

内容についてはおいおいご紹介するとして、くだらないエピソードを一つ書くと、この本を昨年のクリスマスに父(宇宙物理学者)に贈りました。父はケンブリッジに住んでいたことがあるし、学会等でヨーロッパはよく行っていたのですが、はっきり言って西洋美術史の知識は皆無です。僕がスペイン中世建築(それも初期)を研究し始めてからは、「ロマネスクってあれでしょ、あの小さい田舎の教会でしょ」と何度も何度も言われ、辟易としました。

父は結構しつこいのです。それに、文学に感銘を受けるタイプでもありません。しかし、彼の「ロマネスクってあのゴシックになる前の小さい教会でしょ」が、金沢さんのあの手この手で解体されていって、ロマネスクがいかに革新的であったかというのが少しは伝わったみたいです。とくにバイユーのタペストリは見たことがあったり、世界史的な知識と結びつくところがあったので面白かったようです(父は権威に弱いので、サントリー学芸賞受賞というのもよかったのかもしれません…)。

 

Vézelay

Vézelay, March 2015. The town was empty and the Basilica of Ste-Marie-Madeleine was empty, too. And clean.

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Fuencarral

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Hace un año visité el barrio de Fuencarral y ahora estoy ordenando mis apuntes y fotos.
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algunas cosas que me dijo una señora que llegó ahí a los dos años:

En el Poblado Dirigido pagaba la hipoteca cada tres meses 429ptas (¡cómo se acuerda de la cifra) por 50 años. Aun hay gente que no ha terminado de pagar.
Ella vivía con sus padres y abuelos en el centro de Madrid pero sus padres querían independizarse y compraron un piso en Fuencarral en 1958. Ellos trabajaban en Sol e iban todos los días ahí aunque no había el transporte público como ahora. Tampoco había infraestructura decente.
Ella vivió en un piso con sus padres, se casó y vivió en otro piso, pero al final compró otro chalet porque no soportaba subir las escaleras hasta la quinta planta. (quinta o cuarta? no sé)
La planta sin pasillo estaba bien pensada, a su entender. Al principio no hubo calefacción y la cocina era de carbón. La carpintería de madera original era muy rara y se abría de una manera muy rara. Se rompió en seguida. Las cajas de escalera de los pisos estaban abiertas (ahora cerradas todas). Muchas partes estaban sin asfaltar. En la casa de una amiga suya vivían 8 niños, sus padres y la abuela. 4 chicos en 2 literas, 4 chicas en 2. Tenía miedo a la UVA por sus habitantes.

Me dijo que hay unos grupos del facebook, todos tienen nombres graciosos salvo uno muy serio, jaja.
Fuencarraleros de Fuencarral
Yo soy de Fuencarral ¿y qué?
Paraguayos y otros pobladores de Fuencarral
Poblado dirigido de Fuencarral

Yo en general veo muy positivo lo que se queda y que está pasando en esos poblados franquistas, aun con lo poco que se queda de Sota u Oíza, aun con lo precario que estaba a nivel urbanístico, y aunque me dijeron lo mal que pasaron algunos barrios con la heroína etc. en los años 80. Una clave sería que son propietarios. Cambian lo “modenno” a su manera con falsas vigas y muros de piedra o ladrillo. Rejas personalizadas. Algunos llevan decenas de años pero niños hay también. ¿Qué opinan?

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Fuencarral B (via Docomomo Ibérico, Vivienda moderna)
 

スペイン初期モダニズム

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Casa Bloc, Barcelona.

さきほどスペインのモダニズムについてS先生からメールで質問が来てそれに答えたのですが、なんだか日本語で同様の内容を初めて書いた気がしたので、もったいないのでここに転載します。

話せば長いのですが、スペインの初期モダニズムの中心はバルセロナでした。
1931年から内戦が始まる1936年の第二共和制時代には、先進的な試みが多くなされました。社会住宅カサ・ブロックはその一例です。
その後内戦後の1939年から1950年代くらいまでがスペインは貧しく、単発的に名建築はありますが、規模や量は少ないです。
1960年代くらいから国際的にも開かれ、やがてラファエル・モネオのような人が現れます。
スペインの初期モダニズムで、もっとも有名なのがホセ・ルイス・セルト(ジュゼップ・リュイス・セルト)で、スペイン内戦(1936-39)のころにフランスに逃れ、のちアメリカに亡命してハーバードのGSDを創設します。槇先生はセルトに会ったことがあると会うたびにおっしゃっています。
セルトはお金持ちのぼんぼんでしたから、旅行も若い頃からしており、早くから海外の動向に敏感でした(前川國男みたいな感じですかね)。
コルビュジエの事務所で働いたり、1937年のパリ万博ではゲルニカが展示されたスペイン共和国館(内戦中でした)を設計したり、アメリカに行ってからはCIAMの会長をやったり、晩年にはスペインや南仏でも名建築を残しています。たとえばバルセロナのミロ財団。

それ以外のモダニズムの建築家たちはどうだったか。
セルトとともにGATEPACというスペインにおけるCIAMの下部組織みたいなことをやっていた連中は、政治信条はさまざまでした。
セルトと一緒にバルセロナで社会住宅CASA BLOCなんかを設計したトレス・クラベという人物は、内戦で共和国軍の兵士として戦い戦死します。
同じく共和国側で戦い、のちメキシコに亡命したのはコンクリート・シェルで有名なフェリックス・キャンデラ。
http://en.wikipedia.org/wiki/F%C3%A9lix_Candela

アルゼンチンに亡命したのはアントニ・ブネット(アントニオ・ボネット)・カステリャーナ。彼はわりとすぐに戻ってバルセロナでも設計を続けています。
https://www.tumblr.com/search/Antonio+Bonet
http://es.wikiarquitectura.com/index.php/La_Ricarda_-_Casa_Gomis
https://canodrom.wordpress.com/

それ以外には、反乱軍(共和国に対してクーデターを起こし勝利することになるファシスト系フランコ側)で戦った者も多いです。
GATEPACの一員、バスク人のアイスプルアはフランコ軍側で戦って戦死。
チームXと密接に関わっていたコデルク(ガウディの孫弟子)は、フランコ政権下のバルセロナで最初にモダニズムに立ち戻りました。ブルジョワの邸宅を多く残しており、その辺からも、彼がバルセロナの社会階級の中でどこに位置していたのか、何故フランコ側についたかが窺えます。
https://yoshihikoito.wordpress.com/?s=coderch

同じく反乱軍側に立ったフィサックは、マドリッドで教会や保守系政府系組織のための建築を多く造りますが、やがて日本や北欧の影響を受けたり、プレキャスト・コンクリートの可能性に気づいたりします。
https://yoshihikoito.wordpress.com/2013/09/29/san-pedro-martir-de-miguel-fisac/

マドリッド近代建築の父アレハンドロ・デ・ラ・ソタも反乱軍側で、復興に際し重要な役割を担います。
http://www.stepienybarno.es/blog/2014/01/15/12095/

共和制時代にモダニズムに傾倒していた年長の建築家たちは、保守化する政権下で歴史主義に戻りました。メンデルゾーンみたいな建築をつくっていたのに、威圧的なエル・エスコリアル宮殿っぽいものをつくるようになったグティエレス・ソトなんかはその代表です。
http://es.wikipedia.org/wiki/Cine_Barcel%C3%B3 これが(映画館)
http://es.wikipedia.org/wiki/Cuartel_General_del_Ej%C3%A9rcito_del_Aire これに(空軍省)

ただ、スペインに残ってファシスト体制に忠誠を誓った建築家も、オフィシャルに求められている新古典主義的な造形と、それ以外(とくに住宅=ブルジョワの住宅または社会住宅)とで、建築言語を使い分けていたきらいがあります。
アシス・カブレーロというファシスト政権公認の建築家は、
政権のためにはピアチェンチーニ風
http://es.wikipedia.org/wiki/Casa_Sindical_de_Madrid
労働者住宅にはローコストで伝統的構法を用いながら、モダニズムの影響が感じられるもの
https://yoshihikoito.wordpress.com/?s=cabrero
を設計しています。

結論としては、インターナショナル・スタイルは1930年代にあった。とくにバルセロナに。しかし内戦によって一部の建築家は戦死、一部は亡命、一部は歴史主義に戻った。成熟したモダニズムを再輸入し独自性が発揮され始めるのは50年代後半〜、という感じでしょうか。

Christ between anywhere

Christ between the columns

↓これの準備中。

小見山くんのブログでも紹介されてました。

何度も行っているコルドバ大モスク、死ぬほど写真はあるのに、いざ使おうとすると意外と足りないものです。

El orgullo Coderch

¡Qué tío…!

Muy al final de su vida, el político Trias Fargas le preguntó si aceptaría la Creu de Sant Jordi que la Generalitat pretendía concederle y Coderch, según me contó él mismo, les respondió que qué se creían, que si consideraban que no se la merecía que no se la ofreciesen, y que si se la merecía, que se arriesgasen a que él la rechazase. Ése era Coderch.

Via Oscar Tusquets: “Un arquitecto tiene la obligación de que la naturaleza no le guste demasiado”

 

jos_antonio_coderch_-_manuel_valls_-_casa_ugalde-_caldes_d_estrac_8_

Fisac, Centro de estudios hidrográficos (Madrid)

"huesos"
Fisac's staircase
huesos de Fisac
1950年代から60年代のスペイン建築界で異彩を放ったミゲル・フィサックによるマドリッドの水圏学研究所。「ウエソ」(hueso = 骨)と建築家が呼んだ有機的な断面のプレキャスト・コンクリート梁が連続してかかる。1950年代前半にレンガの表現を徹底的に追求したフィサックは、50年代後半からコンクリートの可能性にとりつかれた。水圏学研究所は、そんななかでフィサックが最初に行ったコンクリートの工業化と表現性の両立に関する実験的作品だった。

2014年3月にようやく内部を見学させてもらった。かなり状態が良いが、どうやら近年大規模な修復が行われたとのこと(詳細不明)。

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2/26 FreshJapan 日本の若手建築家10組

freshjapan'

FreshJapan en FreshLatino2
フレッシュ・ラティーノ2オープニング・イベント
フレッシュ・ジャパン

日時 fecha:
2014/2/26(水)19:00 | mié 26-feb-2014 a las 19h

場所 lugar:
〒102-0085 東京都千代田区六番町2-9
セルバンテス文化センター東京
Instituto Cervantes de Tokio
2-9, Rokubancho, Chiyoda-ku, Tokio 102-0085 Tel (03) 5210-1800

キュレーター comisarios:
アリアドナ・カンティス Ariadna Cantis
アンドレス・ハケ Andrés Jaque

FreshJapanコーディネーター coordinador FreshJapan:
伊藤喜彦 Yoshi Ito

スペイン、ポルトガル、ラテンアメリカから、注目度上昇中の建築家・コレクティヴを紹介するフレッシュ・ラティーノ展。その第二弾が、セルバンテス文化センター東京にやってきます。今回登場するのはスペイン、アルゼンチン、エクアドル、コロンビア、ベネズエラ、ブラジルからの計12組。本企画のオープニングにあわせ、日本建築界の未来を担う10組のデザイナー/コレクティヴをお招きして、そのお仕事ぶりを伺います。日本の現代建築はどこへ向かうのか?
グローバル? ローカル? スペインやイベロアメリカの新潮流とはどんな共通点や差異があるのか?
そんなことを考えさせられる刺戟的な場となりそうです。皆様のご来場をお待ちしています。

聴講のご予約は下記ページから。 http://reservas.palabras.jp/ja/

登壇予定建築家・アトリエ(順不同、敬称略)

Hiroi Ariyama 有山宙 (assistant)

Yuki Hyakuda 百田有希 (onishimaki+hyakudayuki architects)

Hiroyuki Unemori 畝森泰行

Fuminori Nousaku 能作文徳

Mitsuyoshi Miyazaki 宮崎晃吉(hagi studio)

Kentaro Kurihara & Miho Iwatsuki 栗原健太郎, 岩月美穂 (studio velocity)

Javier Villar, Tomoki Yamasaki & Takushi Nakata ハビエール・ビヤール, 山崎智貴, 中田琢史
(happenstance collective)

Jorge Almazán Studiolab (ホルヘ・アルマザン研究室)

Daiki Koga Nakagawa 古賀大起 (Hacocoto inc.)

Koichi Suzuno 鈴野浩一 (TORAFU ARCHITECTS)