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El orgullo Coderch

¡Qué tío…!

Muy al final de su vida, el político Trias Fargas le preguntó si aceptaría la Creu de Sant Jordi que la Generalitat pretendía concederle y Coderch, según me contó él mismo, les respondió que qué se creían, que si consideraban que no se la merecía que no se la ofreciesen, y que si se la merecía, que se arriesgasen a que él la rechazase. Ése era Coderch.

Via Oscar Tusquets: “Un arquitecto tiene la obligación de que la naturaleza no le guste demasiado”

 

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Edificio Girasol by J. A. Coderch (1966)

Edificio Girasol by yoxito
Edificio Girasol, a photo by yoxito on Flickr.

This is really a peculiar building in many senses… A building by Coderch in Madrid, not in Barcelona (Away Game), who intentionally ignored the typical 19C “ensanche” characteristics of this district, even though maintaining that snobbish concept, or even enhancing it. Still, this rather austere appearance (the interior distribution seems to have changed since then, perhaps?) doesn’t imply, at least directly, any post-modern or what-so-ever language of lux.
It just looks a bit different from other modern buildings of the district, just because of that curved brick-faced walls… and these walls are a quite interesting example of brick-use in Spanish Modern Architecture, I think.

Bohigas said (quoting freely):
La Unité had asked for the change of life-style, but Girasol transferred the bourgeois life-style in an isolated house directly to this urban block.

I always had intention to visit this building but I had never passed near… That day I was looking for some “pijada” for my son in Salamanca district, and, there it is!

found the plan here
Madrid

スペイン初期モダニズム

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Casa Bloc, Barcelona.

さきほどスペインのモダニズムについてS先生からメールで質問が来てそれに答えたのですが、なんだか日本語で同様の内容を初めて書いた気がしたので、もったいないのでここに転載します。

話せば長いのですが、スペインの初期モダニズムの中心はバルセロナでした。
1931年から内戦が始まる1936年の第二共和制時代には、先進的な試みが多くなされました。社会住宅カサ・ブロックはその一例です。
その後内戦後の1939年から1950年代くらいまでがスペインは貧しく、単発的に名建築はありますが、規模や量は少ないです。
1960年代くらいから国際的にも開かれ、やがてラファエル・モネオのような人が現れます。
スペインの初期モダニズムで、もっとも有名なのがホセ・ルイス・セルト(ジュゼップ・リュイス・セルト)で、スペイン内戦(1936-39)のころにフランスに逃れ、のちアメリカに亡命してハーバードのGSDを創設します。槇先生はセルトに会ったことがあると会うたびにおっしゃっています。
セルトはお金持ちのぼんぼんでしたから、旅行も若い頃からしており、早くから海外の動向に敏感でした(前川國男みたいな感じですかね)。
コルビュジエの事務所で働いたり、1937年のパリ万博ではゲルニカが展示されたスペイン共和国館(内戦中でした)を設計したり、アメリカに行ってからはCIAMの会長をやったり、晩年にはスペインや南仏でも名建築を残しています。たとえばバルセロナのミロ財団。

それ以外のモダニズムの建築家たちはどうだったか。
セルトとともにGATEPACというスペインにおけるCIAMの下部組織みたいなことをやっていた連中は、政治信条はさまざまでした。
セルトと一緒にバルセロナで社会住宅CASA BLOCなんかを設計したトレス・クラベという人物は、内戦で共和国軍の兵士として戦い戦死します。
同じく共和国側で戦い、のちメキシコに亡命したのはコンクリート・シェルで有名なフェリックス・キャンデラ。
http://en.wikipedia.org/wiki/F%C3%A9lix_Candela

アルゼンチンに亡命したのはアントニ・ブネット(アントニオ・ボネット)・カステリャーナ。彼はわりとすぐに戻ってバルセロナでも設計を続けています。
https://www.tumblr.com/search/Antonio+Bonet
http://es.wikiarquitectura.com/index.php/La_Ricarda_-_Casa_Gomis
https://canodrom.wordpress.com/

それ以外には、反乱軍(共和国に対してクーデターを起こし勝利することになるファシスト系フランコ側)で戦った者も多いです。
GATEPACの一員、バスク人のアイスプルアはフランコ軍側で戦って戦死。
チームXと密接に関わっていたコデルク(ガウディの孫弟子)は、フランコ政権下のバルセロナで最初にモダニズムに立ち戻りました。ブルジョワの邸宅を多く残しており、その辺からも、彼がバルセロナの社会階級の中でどこに位置していたのか、何故フランコ側についたかが窺えます。
https://yoshihikoito.wordpress.com/?s=coderch

同じく反乱軍側に立ったフィサックは、マドリッドで教会や保守系政府系組織のための建築を多く造りますが、やがて日本や北欧の影響を受けたり、プレキャスト・コンクリートの可能性に気づいたりします。
https://yoshihikoito.wordpress.com/2013/09/29/san-pedro-martir-de-miguel-fisac/

マドリッド近代建築の父アレハンドロ・デ・ラ・ソタも反乱軍側で、復興に際し重要な役割を担います。
http://www.stepienybarno.es/blog/2014/01/15/12095/

共和制時代にモダニズムに傾倒していた年長の建築家たちは、保守化する政権下で歴史主義に戻りました。メンデルゾーンみたいな建築をつくっていたのに、威圧的なエル・エスコリアル宮殿っぽいものをつくるようになったグティエレス・ソトなんかはその代表です。
http://es.wikipedia.org/wiki/Cine_Barcel%C3%B3 これが(映画館)
http://es.wikipedia.org/wiki/Cuartel_General_del_Ej%C3%A9rcito_del_Aire これに(空軍省)

ただ、スペインに残ってファシスト体制に忠誠を誓った建築家も、オフィシャルに求められている新古典主義的な造形と、それ以外(とくに住宅=ブルジョワの住宅または社会住宅)とで、建築言語を使い分けていたきらいがあります。
アシス・カブレーロというファシスト政権公認の建築家は、
政権のためにはピアチェンチーニ風
http://es.wikipedia.org/wiki/Casa_Sindical_de_Madrid
労働者住宅にはローコストで伝統的構法を用いながら、モダニズムの影響が感じられるもの
https://yoshihikoito.wordpress.com/?s=cabrero
を設計しています。

結論としては、インターナショナル・スタイルは1930年代にあった。とくにバルセロナに。しかし内戦によって一部の建築家は戦死、一部は亡命、一部は歴史主義に戻った。成熟したモダニズムを再輸入し独自性が発揮され始めるのは50年代後半〜、という感じでしょうか。